映画は、量か質か?
2003年2月28日「戦場のピアニスト」見ました。
へヴィーだなぁ。
あまりに、むごたらしいので、
スクリーンを直視できず。
こわいー、はやくおわってー、って、思ったよ。
上映後、ロビーに出たら友だちがいて、
同じ回見てたんだ!ってことになったんだけど、
ふたりとも、無言で階段を上る、上る、上る。
あまりのやるせなさに、出るのは溜め息ばかりなり。
「戦場のピアニスト」は、確かに、傑作だと思うけど、
わたしは、2度と見たくない。
これは、もしかして、最高の賛辞といえるのかもね。
カンヌ映画祭では、二年続けて
ピアニストって言う原題を持つ作品が、
栄光を手にしたのですね。
なぜ、わたしが、これほどまでに、映画に魅せられているのか、
最近、ようやく、その解答らしきものが分かってきました。
ま、それは、言葉にするには、あまりに、
わたしのボキャブラリーの少なさを、
世間に露呈することになる・・・。
ただ、言えるのは、映画はとても美しいということ。
それと、わたしが、映画を愛しているということ。
これは、量をこなした人だけが言えることだけど、
映画はやっぱり、量ではないって言うこと。
量は質をも凌駕するって言ってる人がいたけど、
それは、違う。
わたしは、高校1年生から猛烈に映画を見始めて、
大学の4年間は、年に、400本以上は見ていたし、
大学を卒業した後、年間600本を超えた年もあった。
(それは、わたしが23歳の時です)
もちろん、映画ノットイコールビデオであります。
わたしは、去年まで、フィルム以外は、全く認めず、
映画に関して言えば、なんとも融通の聞かない堅物でもあったのです。
でもね、最近気付いたのは、
映画をたくさん見ることよりも大切なのは、
その1本1本の映画について、考えてみることなんじゃないかなぁ。
ただ、消費するだけでは、見ないほうがずっとましのような気がする。
映画に対する冒涜ともいえる。
それと、暗闇に住んでいたに等しい生活を送っていたので、
(年に600本も見れば当然そうなるのです)
右目が特に、明るい光に弱くなってしまって、
光に当たると、涙が止まらないのです。
これは、弱点だな。
でも、映画によって、そうなったのだから、これは運命だね。
へヴィーだなぁ。
あまりに、むごたらしいので、
スクリーンを直視できず。
こわいー、はやくおわってー、って、思ったよ。
上映後、ロビーに出たら友だちがいて、
同じ回見てたんだ!ってことになったんだけど、
ふたりとも、無言で階段を上る、上る、上る。
あまりのやるせなさに、出るのは溜め息ばかりなり。
「戦場のピアニスト」は、確かに、傑作だと思うけど、
わたしは、2度と見たくない。
これは、もしかして、最高の賛辞といえるのかもね。
カンヌ映画祭では、二年続けて
ピアニストって言う原題を持つ作品が、
栄光を手にしたのですね。
なぜ、わたしが、これほどまでに、映画に魅せられているのか、
最近、ようやく、その解答らしきものが分かってきました。
ま、それは、言葉にするには、あまりに、
わたしのボキャブラリーの少なさを、
世間に露呈することになる・・・。
ただ、言えるのは、映画はとても美しいということ。
それと、わたしが、映画を愛しているということ。
これは、量をこなした人だけが言えることだけど、
映画はやっぱり、量ではないって言うこと。
量は質をも凌駕するって言ってる人がいたけど、
それは、違う。
わたしは、高校1年生から猛烈に映画を見始めて、
大学の4年間は、年に、400本以上は見ていたし、
大学を卒業した後、年間600本を超えた年もあった。
(それは、わたしが23歳の時です)
もちろん、映画ノットイコールビデオであります。
わたしは、去年まで、フィルム以外は、全く認めず、
映画に関して言えば、なんとも融通の聞かない堅物でもあったのです。
でもね、最近気付いたのは、
映画をたくさん見ることよりも大切なのは、
その1本1本の映画について、考えてみることなんじゃないかなぁ。
ただ、消費するだけでは、見ないほうがずっとましのような気がする。
映画に対する冒涜ともいえる。
それと、暗闇に住んでいたに等しい生活を送っていたので、
(年に600本も見れば当然そうなるのです)
右目が特に、明るい光に弱くなってしまって、
光に当たると、涙が止まらないのです。
これは、弱点だな。
でも、映画によって、そうなったのだから、これは運命だね。
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